エンジニア人生、 10年のコミットメント。

※この記事は 2024年06月28日に Medium で公開されたものを、ブログ移行に伴い再掲載したものです。内容は当時のままですので、一部情報が古くなっている可能性があります。

はじめに

稀に、自分はなぜこの仕事をしているんだっけと考えることはないですか? 頻度は多かれ少なかれ、考えたことがある方が多いのではないかと思います。

多くの人は、何かのために働き、その対価で生活をして、そうやって社会が創られていますよね。 私は、日本での生活しか経験が無いのですが、それでも、日本は就労の自由度がとても高いと思います。働きたくても働けないといった状況にある方もいらっしゃると思いますが、多くの人がそれぞれの職に就き、結果的には誰かのためになっている。素敵なことだと思います。

このエントリーで描かれるエピソードは、私がこれまで考えてきたことと、この先の話についてです。 ソフトウェアエンジニア N=1 として、これまでどのようなキャリアを歩み、なぜ今ここに居るのか、コンパクトに整理したものです。私個人に対する興味は無くとも、是非、ご自身のことを振り返りながら読んで頂けると嬉しいなと思います。

これまで

こんにちは。ソフトウェアエンジニアの畑中です。 2024年1月にTebiki株式会社(以下、Tebiki)に入社しました。 まずは、Tebiki に入社するまでの経緯について、簡単に紹介させてください。

私のソフトウェアエンジニアキャリアの始まりは、2010年に新卒で入社した、東京の某コンシューマーゲーム開発会社で、私が27歳になる年でした。 地元の高校を卒業後、大学には行かず、神戸で一人暮らしを始めました。この頃、ホームページを作ることに熱心で、独学で HTML や CSSJavaScriptFlash などを書いていました。なんだかそれが楽しくて、ソフトウェアエンジニアを目指すことになり、専門学校に入学したのが25歳になる年でした。

新卒で入社した会社では、プロジェクト横断な、R&D部署のネットワーク専門チームで働くことになりました。専門学校では、主に3Dモデルのレンダリングやシェーダーなど、デジタルグラフィックスを中心に勉強していたため、ネットワークの仕事は新鮮でした。主に担当したのは、クラウドインフラの管理システム構築や、各社プラットフォームSDKのネットワークライブラリ調査などでした。当時の上司や先輩、同僚の方々からは、一人前のソフトウェアエンジニアとしての技術や振る舞いなどを学ばせて頂き、とても感謝しています。 それから2年後、子を授かり、住み慣れた関西に戻るべく、転職を決意します。

知り合いに声を掛けると、関西でソーシャルゲームを開発している会社と出会うことができました。 この会社には、その後6年間在籍することになります。後半の数年は、20名程度のソフトウェアエンジニアが所属する部署でエンジニアリングマネージャーとなり、私にとってはこれが最初のマネジメント経験となりました。この頃から、少しずつ関西のエンジニアコミュニティに参加させて頂いたり、有志と一緒に関西で umeda.go という名の Go コミュニティを始めたりと、現在進行系で色々な方にお世話になっています。

今もよく覚えています。私が35歳になる年の元日のことでした。 私は、このままエンジニアリングマネージャーを続けていくかどうか考えていました。 今後も、ソフトウェアエンジニアとして通用するのかどうか、不安になっていたのです。市場でどのように評価されるのかも気になっていました。このような不安は、1度くらい訪れるのではないかと思います。 そういった心境では、居ても立っても居られませんから、転職市場に出てみることにしました。

1年ほど、色々な方にお話を聞かせて頂く中で、興味を惹かれる会社がありました。 本社は東京ですが、関西に拠点が立ち上がったばかり。これからチーム、そしてプロダクトを作るというフェーズ。当時、関西拠点のソフトウェアエンジニアは4名ほどでした。その4名から感じる、エンジニアリングに対する活力や、自分の腕試しという動機も重なり、この会社で働くことを決めました。

この会社は、クラウド会計ソフトを提供していましたが、当時の私は、提供するサービスの業務ドメインにこだわりはありませんでした。自分がどの程度通用するのかというチャレンジ精神でキャリアを選択したように思います。この会社には、4年半ほど在籍しました。 私は、この会社で、1年ほどソフトウェアエンジニアとしてプロダクト開発に従事し、残りの3年弱を SRE チームのメンバーとして働きました。そして、この会社でも、最後の2年ほどはエンジニアリングマネージャーとして働きました。 ここで、再びマネージャーキャリアを選択したことは、個人的に興味深いことです。その理由のひとつには、自分が社会で通用するのかどうかより、チームとして何をするか、どこへ向かうかが重要であるという気持ちが芽生えたことがあるように思います。自分が所属している組織の中で、今自分がやるべきことは何かという視点で、自らマネージャーキャリアに手を上げました。 前職でのマネジメント経験とは、組織の規模やルール、人も異なり、タフな仕事も多くありました。しかし、ここでの経験は、かけがえのないものであり、エンジニアとしての成長や、当時お世話になった方々との繋がりも含めて、大きな財産となっています。

そして40歳。私は再び転職を決意することになります。

突き動かすもの

何が私を決意させるに至ったのでしょうか。

これまでの内容からわかるように、私が転職を決意するトリガーは、短期的な自己実現を達成したいという欲求だったように思います。住み慣れた土地に移住したい、自分が通用するのか確かめたいといったことです。その他に、報酬、働く環境といった欲求も、グラデーションとして存在していましたが、これらについても同様に、短期的な自己実現への欲求に思えます。

ところが、徐々に、自意識の中に、長期的な自己実現への欲求があることに気づき始めました。 今思えば、先に書いた、今自分がやるべきことは何かという視点から、エンジニアリングマネージャーに手を上げたというエピソードは、少し長期的な視点だったのかもしれないと振り返ります。 私には、小学生の子が2人居ます。彼らのための自分の役割は、良き父であり、生活の基盤を築くことも重要ですが、もう少し長期的な視点で視ると、どんな社会を受け渡すかも重要に思えて来ました。

私の父は、鉄鋼などを扱う製造業のサラリーマンでした。当時、父は日本の顧客サービスのクオリティに誇りを持っているようでした。私はというと、そもそも日本の製品はクオリティが高いのだから、顧客サービスに力を入れるのは、声の大きな顧客に対する過剰な国民性だろうと思っていました。 ところが、近年、日本の製品クオリティは、世界の市場において、大きな差別化の要因にはなっていないように思います。それどころか、人手不足や、属人化による技術継承の難しさといった、多くの課題が生産性を低下させ、GDPベースで見ると、国際的な競争力を落としていることが明らかとなっています。

私は、製造業の生産性を向上させることこそ、自分が次世代のためにやることのように思えて来ました。仮に、日本が先進国の中で、生産性とクオリティで肩を並べることができるなら、顧客サービスが差別化要因となる。日本さえ豊かになれば良いといった排他的な考えではなく、国際社会でバランスすること、均衡が重要だと考えています。生産性とクオリティは、合理性の元に最適化できるプロセスだと思っていますが、国民性、つまり、合理性を突き詰めてもたどり着けない、文化や精神が、最終的には競争力となる。そんな仮説です。 それに対して、私ができることは、製造業の生産性を合理的に向上させるプロダクト開発であるという結論に至りました。おそらく、合理性は国際社会で直接的な競争力にはならないと思います。しかし、最低限追求しなければならないことであり、まずはそこから始めなくてはなりません。

取り組むべき課題は、他にも多く残されていることでしょう。この点について、盲目的であることを認めざるを得ません。一方で、この先10年取り組める課題を見つけたという感覚を得ました。

Tebiki, Inc.?

私が働く場所として、Tebiki を選んだ理由について書きたいと思います。

まず最初に述べておかなければいけないことは、報酬と働く場所は、妥協できなかったということです。これらは生活基盤を維持するために必要なことでした。もう少し若ければとか、独身であればとか、言うつもりはありません。単純に、生活基盤を維持することが、自分にとって重要であるということでしょう。 (Tebiki のエンジニアは、原則として週1回の出社勤務が存在しますが、一定の条件を満たした Individual Contributor は、フルリモートでの業務も許可されています。)

その前提の上で、私が重視したのは、プロダクトビジョンでした。 事業会社を差別化するポイントは、何を目指してプロダクトを開発しているかに尽きると思います。今回、採用インタビューでお会いした方々とは、各社のプロダクトの方向性は当然のことながら、ビジョンの深さやフィージビリティに対するディスカッションをさせて頂きました。その中で、個人的に共感でき、わかりやすく、イメージができると感じられたのが Tebiki のプロダクトビジョンでした。

現代の製造業において、生産性向上のカギとなっているのは、品質と効率の改善です。 例えば、施策の 1 つに多能工化があります。多能工化とは、一人の従業員が複数の業務を担当できるようにするための戦略であり、人材不足が叫ばれる業界において、非常に重要なトピックとなっています。また、従来までの大量生産方式から、多品種少量生産方式への移行も、多能工化の必要性を高めていると言えます。また、トヨタ生産方式における、7 つのムダの削減が重要となっています。これらのムダは、最終的に原価に跳ね返り、企業パフォーマンスに大きな影響があります。

品質と効率の改善には、現場教育が重要なテーマになります。そして、測定できないものは改善できないため、データを中心とした現場分析も合わせて必要になります。こうして初めて、現場改善のサイクルを回すことができるようになります。そして、Tebiki のプロダクトビジョンの根底は、分析の先にある、現場データの活用なのです。

詳細に興味がある方は、以下の Company Deck をご覧ください。

どうするか

ところで、どうすればこのプロダクトビジョンを実現できるでしょうか。

大局的には、現場の既存の業務プロセスに変革をもたらす必要があると考えています。個別に最適化された、既存の業務プロセスに沿ったデジタルソリューションの提供ではなく、デジタルに最適化された現場統合プラットフォームの構築と提案です。これが DX の本質であると思います。ここに、ソフトウェア産業としての大きな可能性と、大きなチャレンジがあると思います。

現在、Tebiki は、tebiki現場教育と、tebiki現場分析という 2 つのプロダクトを展開しています。私は現在、tebiki現場分析の、分析に関わる機能開発を担うチームに所属しています。

我々のチームは、私の入社タイミングと時期を同じくして立ち上がった小さなチームです。エンジニア一人ひとりが、インフラの構築からバックエンドの開発、フロントエンドの開発、テスト、サービスの運用といった、サービスを提供するために必要な開発タスクをフルサイクルで担当しています。 チームで最初に決めたことは、サービスとプロダクトの品質を最も重視するということでした。品質を重視するということは、自ずと開発スピードが早くなるということです。このことは、セールスを担当するメンバーからの信頼を獲得することにも繋がります。なるべく小さなストリームアラインドチーム(出典: チームトポロジー)を維持し、開発、セールスと分け隔てることなく、ワンチームでサービスを提供する体制を維持したいと考えています。 一方で、Tebiki のビジョンを実現するためには、企業規模の拡大が必要です。拡大を続ける組織の中、1つのチームや機能をコンパクトに維持することは、非常に難易度が高いことだと思っています。プロダクトと組織の品質を、継続的にメンテナンス、維持することがポイントになると思います。言うは易しですよね。チャレンジングな課題だと思います。

その他、開発の具体的な話は、引き続きこのテックブログに書いて行きたいと思います。

おわりに

「本当に 10 年コミットしますか?」

どうでしょうか。現場統合プラットフォームというビジョンを実現し、達成感を得るためには、それくらいの時間が掛かるのではないかと思っています。ただ、それよりも心配なことは、本当に顧客の課題が解決されるのかです。こればかりは、日々の手応えを確かめながら、チームで試行錯誤を重ね、実行していく他ありません。そうこうしている間に、時は流れていきます。

何のために働くのか、そこには多様性があり、多様性があるからこそ、互いに支え合うことができていると思います。そういった中で、同じ方向に熱量を持った人々が集まって課題解決をするのが企業であり、より大きな課題に対峙する手段だと思います。 もし、こんな考えに共感して頂ければ、連絡をお待ちしています。 現場の未来を動画技術で切り拓く Tebiki株式会社 現場の未来を動画技術で切り拓くtebiki.co.jp 3.エンジニア の求人一覧 - Tebiki株式会社 Tebiki株式会社が公開している、3.エンジニア の求人一覧ですherp.careers

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。